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人生の羅針盤が540度回転した話

相川明子

 勉強って別に苦手じゃありませんでしたが、好きではありませんでした。小学校も中学校も何で行ったかというとみんな行ってたし、行かなければならなかったし。別に小学校は自分ちの並び、中学校も徒歩8分、行くのも苦にならないし。そんな程度だったかと。

 高校受験もみんなするから受けた、そんな感じです。あとは大学行かないと仕事につけない、生活していけない、そんな風潮も子供心に感じていたのではと思います。高校はフツーにしてれば9割以上が上(大学)に進める学校に行きました。大学受験って大変そうだったから、受験は人生1回でいいや、と思って。結構冷めた奴でした。ほんとうに。

 高校のとき、課外授業で国内にいる外国人に「外国人」と表現されることに関してアンケートをとろうとグループで決まりまして、それでJICAの海外留学生研修センター(正式名称失念しました)で、ガーナの学生に話を聞きました。

 アンケートそっちのけで色々たずねると、彼は結構自分が恵まれている、と言うんです。たまたまお父さんが地元の名士で教育を受ける機会を与えてくれ、医学を学ぶことができたのだそう。そして今は留学生として日本という先進国で最先端の医療を学ぶ機会を得ている、だから自分はここで得られる全ての知識や経験を全部自分の国に持って帰って国の医療に活かすんだ、というような話だったと記憶しています。

 さて、そんな彼の言葉が、私の人生観を180度変えました。彼もそんなこと予想しなかったと思いますけど。

 やせ衰えたがりがりでおなかだけが異様に出ている子、顔にたかる蝿を払う気力も無く、泣きもしない赤ん坊を抱えただ空しく宙を見るだけの女性。そんな様子がユニセフのCMで流れていたことはおぼえてます。でもテレビのスイッチを消せば、その画像も消えた。私にとってリアルでなかったんです。

 でも彼と、生身の人間と顔を突き合わせて話し実際に起こっている様子を聞いた、それだけで自分がいかにラッキーだったかというのを強く感じたんですよね。私がいかに単純な人間か、というのはさておき。

 私にとって、そのアンラッキーに悩まされうちひしがれている人々の存在がやや現実味を帯びてきた、ということよりももっと鮮明に響いてきたのは、「自分はラッキーだった」という彼の自覚と勉強で何かを得、活かそう、しかもそれが国とか人々とかだったりする、そんな考え方でした。私にとって驚きというか今まで想像したことも無かった。自分はラッキーだったのか!?勉強ってほとんど惰性の義務だと思ってたけど、勉強する機会が与えられている人はラッキーなんだと。しかもその義務だと思い込んでたものから何かを得、活かすという。

 今これを読んでくださっている方は、私が何て大馬鹿なのか、途方にくれていらっしゃるかもしれませんが、私はそれくらい何も気付いちゃいなかったんです。そしてそういったことに気付かせてくれた、少なくとも目を向けるきっかけを与えてくれたそのガーナの青年のような人達と一緒に何かできたらいいな、とただ漠然と思い始めるようになりました。

 大学のゼミでは開発経済学を学びました。今思えば別に「開発」うんぬんということでなく、経済学というものをちょこっとでもかじって良かったなと思います。在学中には気付きませんでしたが。今社会人と呼ばれるようになって機会費用の考え方など結構よく使ったりします。

 これだけの時間と労力があればバイトすりゃこれだけの稼ぎになるだろうけど、この活動に参加しているってことはあたしゃこの活動にそれだけの意義を見出すことができなきゃ馬鹿だな、なんて。頑張ってもととらなきゃみたいな。あと物事を体系だって考える、ということを教わったような気がします。

 それと在学中の交換留学の経験も大きかった。留学前と後ではきっと後の方が語彙は明らかに狭くなったんじゃないかと思います。Have、Come、Go、Take、Getそれ以外大した動詞を使わなかったような・・・。でもコミュニケーション能力はかなり上がったかな、なんて。

 まずは何に対しても知ろうと努力する、考えをもつ。そしてとにかく周りに自分の考えを貪欲に伝える。独り善がりの考え、大いに結構!多数が正しいなんて誰が決めた!そんな教員も面白かったし、自分の親よりも年上の同級生が同じクラスで椅子を並べて議論を交わす、そんな授業も面白かった。子育てもあらかた終わったから私の人生楽しむわ、という彼女。生涯学習なんて盛んに言われてますけど、ホント学ぶのに年齢制限など無い。飽くなき探究心、スバラシイ!

 各国の留学生と一緒になってInternational  Nightを企画したのも楽しかったし。国や文化の違う中、イベント直前の猛烈なストレスのもと、色々がぁがぁ言い合って半べそかきあってたのに、終わったときの充実感と達成感。今でこそいい想い出。

 そして何より障害者支援団体でのボランティア活動。その団体は、運動神経抜群、スポーツも旅行も大好き、しかしある時交通事故に遭い下半身不髄となり車椅子生活を送ることになった一人の女性によって設立され、今では世界的なネットワークを持つ団体となりました。

 それまであたりまえに飛行機に乗って海外へ旅行に行っていたのに、突然それが許されなくなった。許されてもかなりの制限を受けてしまうようになった。最初は落ち込んで何度も死のうと思ったそうですが、徐々におかしいのは自分ではない、そんな制限自体がおかしいんじゃないか、と考え始めたことが始まりだそうな。

 車椅子に乗って各地を回り講演し、同じ障害を持つ人々を勇気づけるそんな彼女を見て、私は障害をもたないスタッフに「彼女ってパワフルだよね。」と言いました。そしたらそのスタッフは「でも彼女は、私達と同じようにパワフルでありたいだけなんだよ。」と返すのです。

 私がパワフルだって?確かに私は例えばエレベーターのない建物へも入ることができる、乗り物も乗れる、段差も気にする必要がない。しかし真剣に気付かなかった、言われるまで!そして団体の代表である彼女はただ本当に大好きな旅行やスポーツをあたりまえにしたかっただけだった、本当にシンプルなしかし強い想いからここまでのことができるようになるんだ、ということにも衝撃を受けました。

 彼女は障害を個性だといいます。あなたが例えば髪が黒いからってある建物へ入ることを拒否されたらどうだろう?なら私が車椅子に乗っているからこの建物に入ることが出来ないというのはどうなんだろう?ただそれだけのことなんだ、って。うまく表現できませんが、これまた私の世界観を変えた人の登場でした。

 大学卒業後かじった経済学もそこそこ面白かったんでホントは院に行こうかと思ってたのですが、アフリカの農村開発に興味あるのにアフリカの農村見たこと無いってそれ、やばいでしょ、と土壇場で気付き、急遽デンマークのNGOが主催する1年間のボランティアコースに参加しました。

 デンマークにあるフォークハイスクールで最初の半年間を過ごし、アンゴラ共和国で残り半年間衛生教育、識字活動、女性の所得向上プロジェクトに携わっていました。団体の運営自体に結構疑問を持ったりしたのですが、大卒時あれだけ経験も知識も乏しい私に短期間ながらも協力隊並の経験をさせてくれたことには本当に感謝しています。

 さて、簡易便所の建設に地域住民を動員し、地域衛生の向上を図ると共に、労働に参加した住民には賃金ではなく食糧という形で報酬を渡す、そんなプロジェクトを WFPとUNICEFと一緒にやっていましたが、そこからの資金が止まりました。一時的にだったのですが、完全に。資材が調達できない、食糧も調達できない、配給できるものも無い。大きなところに頼るプロジェクト運営の脆弱さを痛感させられた出来事でした。

 他方で女性の所得向上プロジェクトで地元のマーケットには残念ながら女性たちの作った品物にそんなにニーズが無かったりするけど観光客や海外市場にその需要が存在するらしい。そんな中、プロジェクト運営主体である自分達自身も経済的に自立しようとするフェアトレードって呼ばれる活動って結構未来あるかも、と思い始めました。

 こうして帰国後そのフェアトレードという活動を覗いてみようと、第3世界ショップの門戸をたたき、インターン制度に参加し、昨年 10月には正式に就職しスタッフとなり、今は主に民芸品の輸入を担当しています。

 最近出会う学生さんに(この仕事が)羨ましいといわれることが多かったりします。でも私に言わせりゃなんてことなく、フツーのサラリーマンなのですが。私が今職場で一番学んでいるなと思うことは、どう顧客を満足させるか、を考えるということ。失望しました?

 でも私やその他第3世界ショップのスタッフの収入や第3世界ショップという団体の存続を保証してくれる唯一の存在がお客さんなのですよね。そして私たちの強みというのは海外に顔の見えるパートナーがいる。お客さんにパートナーと一緒に一つのライフスタイルを提案することができる。

 どうせなら誰かの役に立っている何かの活動に貢献している、そんなアイテムを使ってみません?一消費者の選択が、あなたの選ぶライフスタイルが、世界のアンバランスを変えるかも、ってなかんじで。啓蒙活動とか消費者意識改革って言葉はあまり好きじゃありませんが、一人でも多くの一般の人が「世界をかえることができる」と思ってアクション(たとえそれがただの買い物であったとしても)を起こせたらすごいなと思ったりします。

 しかも私たちが必死に売れば、必死に儲かれば、それだけより多くの生産者からまた買うことが出来る。つまりそれだけ多くの(とはいってもたかが知れてますが)南の国の人々が生計をたてていけることになる。

 その為にはお客さんが欲しがっているものを各国のパートナーと一緒に真剣に開発しなきゃ。駄目なものは駄目。いいものはいい。お情けで買ってもらう商品はたかが知れてるけど、本当にいいものは誰にでもウケる。そうすることで本当にお互い自立していけるほどに食えていければ万々歳。

 これって開発プロジェクトに一度でも携わった人はきっと分かってくださると思うのです。プロジェクトのターゲットのニーズは何か、どうやって満たすか、どっから資金をひっぱってくるか、障害を乗り越えるためにどうやって各アクターの利害を調整するのか、どうやって活動を持続させていくのか。きっと私は今それをビジネスという形で学んでいるんだと思います。

 さて大学在学中から結構「流通」に興味があります。自分の中では食糧問題っていうのが大きな関心分野で、それって絶対的な供給量が足りない場合はともかく、分配の仕方が問題であることが結構多いなと。今までもそしてこれからもその分野を常に意識しつつ、アフリカの人達と一緒に何かやらかしたいなと思ってます。

 最後に皆さん、是非思い切っていろんなところへ出かけ、いろんな人に会ってみてください。人生変えてくれる人や物事、きっと沢山あるはず。だって私みたいなこんな受身なヤツが、こんなとこでこんな半生語ってるわけですから。どんな経験でもきっと無駄ってないんだろうな、ってホント最近思います。いつでも一期一会大切に・・・。所詮この世は人と人との付き合いで成り立ってるんですもんね。



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